車・くるま・クルマ

今、空いた時間を利用して、2回目の診察のことをまとめています。もう少しお待ち下さい。

今日は1日出かけていました。
午前中は12月に出産予定の弟の子どものお祝いを買いに行きました。

その後、来年の9月の車検までリミットはありますが、車を見てきました。
今まで何も考えることなく車に乗ってきたけど、いざ自分で車を選ぶとなると、とても大変なことだと実感しました。

私は車の運転が、とても苦手です。
車に乗らなくてもいい環境であれば、きっと車は乗らないと思います。
でもそうは言っていられない。
仕事へ行くには車は必要不可欠。普段の買い物や生活でも車は必需品。なくては困ります。
なので、「仕方なく」乗っているかもしれません。

「仕方なく」乗っているという気持ちが、いけないことだとは分かっています。

車を買うのにも、とても高額なお金が必要です。
月々ローン支払いで車に乗ることになるけど、今の家庭状況では、苦しいのが現状。
私がしっかりローンを払えるぐらい働くのであれば、それは不可能ではない。

気持ちが弱い自分が出てきてしまいました。

私はちゃんと仕事へ行けるのかな....

車のローン支払いのために、仕事を頑張れるのかな....

最初は頑張れても、ずっとその気持ちが持続できるのかな....

弱気な自分と、働けないと思う自分。

不安感でいっぱいになっていました。

5年ぶりの精神科

2017年8月26日(土)

初診でも予約なしで診察可能ということもあり、朝9時には初診受付を済ませて、自分の名前が呼ばれるのを待っていました。
予約なしということで、相当待ち時間を覚悟しなくてはならないと思っていましたが、意外と待つことなく(たぶん40分ぐらいだった)呼ばれました。

担当の精神科医は、若い男性医師でした。
おそらく自分と歳が変わらないぐらいか、それよりも若く見えました。(実際に医師に確認したわけでもないので、年齢は不明)

最初に受診理由を聞かれました。
仕事へ行けなくなってしまうこと、頭痛が酷くて困っていることを話しました。
また前日の心療内科医とのやりとりも話をしました。

次に聞かれたのは、私の人生経過。今までの病歴と共に聞かれるだろうと思っていたので、あらかじめ紙に書いてきたのを渡して見てもらいました。それを見ながら、精神科医の気になることに答えて行くという感じでした。

今回は初回ということあって、最後に脳の検査をさせてくださいということで、脳の検査をして終わりでした。次回の診察で、脳の検査の結果を話をするということで、初回は終わりました。

薬については、今時々起こるパニック発作や頻繁にある頭痛については、薬を出してもらっている病院があるから、出しませんとのことでした。
必要と判断した場合のみ出すと言ってもらいました。

カウンセリングについては、精神科医から了承をもらい、今後は精神科医との診察と、カウンセリングの併用治療をすすめていくことになりました。

私の抱えている問題とは....

2017年8月25日(金)

とある心療内科を受診しました。
今、私が抱えている問題と頭痛そして体調不良のことを話しました。

心療内科医に言われたのは、おそらく今、私が抱えている問題と頭痛は少なからず関係性があるとのこと。そして何かしら対人関係で問題があり、それが頭痛や体調不良の症状として出てきている。だから仕事へ行けなくなってしまう。

そうです、私がずっと抱えている問題とは、「仕事へ行けなくなってしまうこと」なのです。

今に始まったことではなく、おそらく2008年1月に離婚して実家に帰ってきて、仕事を始めてからになります。それからずっと悩み続けてきました。

行けなくなってしまうのは、私の気持ちの問題なのではないか。

なぜそうなってしまうのか。

そう考えると頭痛が酷くなり、体調も悪くなる。

仕事も1日だけの欠勤が、2日、3日となり、気づけば1週間に。行くキッカケが掴めなくなり、2週間休んでしまうこともあります。
しかし2週間以上休みが続くと、「このまま休み続けると、大学時代の奨学金の返済分のお金がない!」と思い、焦ってきてまた仕事へ行くようになる。でもまた行けなくなります。

そんなことをしているうちに、仕事のシフトをどうしたらいいのか分からなくなってきました。

既婚といっても、まだ子どもがいるわけでもない。

今の仕事は、自由に休みが取れるし、時間の融通も出来る。契約は9時から16時だけど、午前中のみでも可能。実際16時より早く仕事が終わる日もあるし、16時以降仕事がある日もあります。16時以降仕事がある日でも、最後まで残る人もいれば、時間を見て早く帰る人もいます。それに対して、社員の人は何も言わない。

だからなのか、余計に自分がどう働いたらいいのか分からなくなっていました。

休みたいと思ったら、事前に休みにしておく。
でも実際は、出勤すると決めた日すら出勤できなくなっていて、「出勤すると決めた日も出勤できないなんて私はどうしたいんだ!」と、自分にイライラしたり、自分を責めています。
そして、もう出勤すると決めた日すら出勤出来ないかもしれないと不安になり、どうシフトを出したらいいのか分からなくなっていました。

こんなことを今年になり、ずっと繰り返していて、そろそろ限界だったのです。情けない....。

心療内科医に言われたのは、「行けなくなってしまう理由を知りたいと思うのは良いことだけど、心療内科という医療の場でやることではないと思う」でした。
さらに「そういうことを求めるのであれば、カウンセラーがいる病院か、そういうところへ行ったほうがいい」「アドバイス的なことは出来るけど、深く入り込むことはしたくない。その人のアイデンティティにも関わってくることだから、責任は持てない」と言われました。

私はやっぱり仕事へ行けなくなってしまう理由が知りたいと強く思ったので、もう1つ気になっていた病院へ行くことにしました。そこは市内でも古くからある、入院施設もある精神科病院で、医師が必要と判断すれば、カウンセラー(臨床心理士)とのカウンセリングも受けれるというところでした。

心療内科医との診察後すぐに、精神科病院へ電話をしていました。
初診でも予約なしで診てもらえるとのことだったので、すぐに次の日の2017年8月26日(土)に行くことにしました。

私の紹介

1982年2月生まれ

1998年4月(高校2年)
今でも繋がりのある、ひまわり先生(仮名、男性医師)と出会う。
摂食障害と診断され、摂食障害の治療そして自分自身との向き合い方などのカウンセリングを始める。

2000年4月(大学1年)
ひまわり先生との出会いをきっかけに、心理学に興味を持ち、心理学のある大学へ入学。

2002年3月(大学2年)
ひまわり先生との治療そしてカウンセリングに一区切りをつける。

2003年秋(大学4年)
卒業論文のプレッシャーから、抑うつ状態(初めて抗うつ剤を処方される)となり、再びひまわり先生のところを受診する。

2004年3月
無事に大学卒業。抗うつ剤もなくなる。

2005年6月
仕事のことで悩み、再び抑うつ状態が出てきて、ひまわり先生のところへ。再び抗うつ剤を処方してもらい、飲み始める。

2006年7月
電車内で過呼吸そしてパニック発作が初めて起きる。その後、仕事中にも不安感や過呼吸パニック発作が起きるようになる。

2006年10月
1度目の結婚と同時に、症状の悪化により、ひまわり先生から3ヶ月の自宅療養の診断書(うつ病パニック障害)が出る。

2007年2月
自宅療養期間中でも、症状の改善はせず、ますます悪化。夜は眠れない・不安感は強くなってくる・自傷行為
仕事は症状の改善が見られないということで、退職をして治療に専念することを勧められて、退職。

2007年3月
自傷行為の頻度が多くなってきたことから、ひまわり先生のところから転院。くま先生(仮名、男性医師)との治療が始まる。

2008年1月
離婚、実家に帰ってくる。
くま先生との治療は継続中。

2011年12月末
実家を出て、現在の夫(当時はまだ付き合ってまだ1ヶ月ぐらいだった)と同棲を始める。

2012年7月
現在の夫の転職により、県外へ引っ越しをする。
くま先生との治療が事実上不可能となってしまい、治療を終えることになる。

2013年11月
頭痛外来を受診。
MRI検査をしたが、特に異常はなく、頭痛の頻度が増えたり、痛みが変わってきたら受診するように言われる。

2014年5月
再び頭痛外来を受診する。
緊張型頭痛と偏頭痛の混合型頭痛と診断される。

2016年4月
現在の夫の仕事の都合により、県外へ引っ越しそして入籍(夫は初婚、私は再婚)。

2016年8月
引っ越しで落ち着いていた頭痛が、再発。職場の人に教えてもらった頭痛外来へ行ってみる。
過去の病歴から、ストレス性の緊張型頭痛と診断される。

2017年8月
頭痛そして体調不良が良くならず、それと同時にずっと抱えてきた問題が深刻化してきたため、思いきって再び精神科受診を決断、通院を開始する。

2017年9月
つい最近(9月21日金曜日)2回目の診察そしてカウンセリングを受ける。

はてなブログ開設

はてなブログを開設した、あおちゃんといいます。

ブログ開設した理由は、精神科の医師との診察そして臨床心理士とのカウンセリングの記録を残すためです。

今、抱えている問題があり(詳しくまた書きます)、それを何とかしたいと思い、5年ぶりに精神科への通院を決断しました。

そう、5年ぶりということで、以前にも精神科への通院経験があります。
次で少し私の紹介をしたいと思います。